ぼくとめぇと詩と湊太とコロとチェイスとシャッターの音と空と光。Personal diary of my family, our dog, the sound of shutter, and sky (in Japanese "sora").

ながらくごぶさたでした。写真を見ていただいたとおりで、2月6日の早朝5:54、父が永眠しました。
最後の2週間、ほんと仕事がバタバタで、ろくに見舞いにも行ってやれなくて申し訳ないことをしたなぁと、すでに後悔。土曜も仕事で、昼食から帰ってきて間もなく病院から連絡があり、朝10時くらいから呼吸が困難な状態になっているとのこと。万一のことを考えて妹たちにも連絡を入れ、病院に駆けつけました。すでに酸素マスクがつけられ、とても苦しそうでした。
今年のはじめ日記に書いた、定期検査でみつかった肝臓の数値の悪化は、肝機能の低下の前兆でした。11月の段階ではぼくにもましてや本人にも異変は感じられなかったのですが、静かに肝臓を蝕み続けていたようで、最後には肝臓は小さく萎縮してしまっており、全く機能しなくなっていたのでした(肝不全というやつ)。
と同時に、ヘビースモーカーだったことが影響しているのか、肺も腫れ上がって大半がダメになっており、そのせいで呼吸が困難になっていました。おなかに水も溜まり、ぼくが駆けつけてから翌朝深夜3時くらいまでは本当に苦しそうでした。意識が遠のいてからは苦しむこともなく、ゆっくりと心拍・呼吸を弱めていったのですが、その苦しんでいる間に力強く兄妹の手を握りしめたり、ぼくの首に手を回して抱きしめてくれようとしていたことなど、今でも思い出します。
日曜に亡くなったので本来なら月曜が通夜、火曜が告別式になるのが普通なのですが、火曜の火葬場が混み合っているらしく、一日ずつずれることになりました。1日余裕があったので、気持ちにも多少のゆとりが生まれましたが、それでも初めて務める喪主ですから、何をして良いのやらわからないことだらけだし、普段から付き合いのない親類に会ったり…と、緊張の連続でした。

なんとか通夜・告別式を執り行うこともでき、骨上げ、初七日まで終えることができました。このあともたくさんやることがあって、とりあえずまだ頭の整理がついていないのですが、ひとつずつ落ち着いてしっかりと片付けていこうと思います。

ある意味、こうして日記を書くことも、普通の生活に戻るための過程のひとつと思い、またゆっくりと書き始めていくつもりですので、みなさまよろしくお願いします。

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