ぼくとめぇと詩と湊太とコロとチェイスとシャッターの音と空と光。Personal diary of my family, our dog, the sound of shutter, and sky (in Japanese "sora").
最近とても思うのは「ぼくはすっごく人の愛情や気持ちの移ろいに疎い人間だ」ということ。人間らしい感情とか持ち合わせてないのでは、という自分自身に対する恐怖感、というか劣等感というか。
もちろん怒りや悲しみ、喜びや哀愁など、わかってはいるつもりだけど、それを具体的に表現したり言葉に表したりするのがとても苦手である。昔から下手だとは思っていて、苦手意識はあったのだけれど、最近になって、もしかすると持ち合わせてないのかも、と思いはじめている。どう表現すればいいのかわからない。表現することを愚かだと思っている。愚かだと思うゆえに自分で表現することを避ける。結果強がってみたり、苦手だからと言い放ってしまう。
人と人との出会いや別れの大切さ、そばに居てくれるありがたみを忘れてしまっている。そこに居てくれて当然、そばに居なくなっても、悲しいと口に出すことや涙を流すことを恥ずかしいことだと思って、体が心がそれを拒む。墓前で手を合わせることも仏壇に向かうことも、ちょっとカッコ悪いと思ってみたり「みんな本気でやってんの?」と思ってみたりしてしまう。
あーなんという人間になってしまったのだろう。どうしてこうなってしまったのだろう。自分は果たして人間なのだろうか、とも思う。やばいな、と。
テレビでドキュメント番組を見たり、はたまたファミリードラマを見たりして、心からの人間の愛や生きることへの情熱を見せられると(たとえドラマが作りあげられたものだとしても)、オロオロしてしまう。自分って何なんだろう、と。

今日、めぇさんが前に勤めてた職場の忘年会で、京都の北の方へ日帰りカニツアーに(どんな忘年会だ!)出かけたので、丸々一日フリー。机のまわりを片付けたりしてたところへ、その贅沢三昧のめぇさんから電話。「いかの塩辛好き?」へ?「今、おみやげ屋さんやねんけど、塩辛とウニくらげと松前漬とやったらどれがいい?」思わず涙がこぼれそうになった。質問のわけわかんなさに、ではなくて。人にそばにいてくれてるありがたさ、そばに居てもらうことの大切さをなんとなく感じた夕方。塩辛&松前漬おいしかったよ。ありがとう。

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